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「果報は寝て待て」から占いの存在する意味を知る

皆さま こんにちは。

玲月彩良(れいげつ・さら)です。

 

お盆期間に入っていますね。

 

この期間は「あの世」と「この世」の境目があいまいになるせいか、普段は抑えている色々な感情や記憶がむき出しになり、自分を振り回してくるように感じています。

 

そういうときこそ、普段通りの生活パターンを変えないことが大事です。

 

考えることなく、もくもくと日々のルーティーンをこなして生活するように心がけてください。

 

行動パターンをいつも通りに過ごすことで、余分な感情に振り回されることが少なくなります。

 

過去に起こった事実は変えられませんが、自分の記憶は自分の思考次第で変わってしまいます。

 

今のむき出しにされた感情は実は今の自分の思考から出てきた記憶からの感情です。

 

そんな不確定なものに向き合って振り回される必要性はありません。

 

そのためにも、考える暇を与えない普段通りの生活が一番気持ちを落ち着かせるのに有効だと私は思います。

 

占いで良く聞かれるのが「運気」です。

 

ご本人が背負って生まれた宿命である「運気の流れ」。

 

人によって違います。

 

運気の良し悪しは、結果に大きく影響しますが、運気が良いからといってなんでも叶うわけではありません。

 

運気よりも、願いを叶えるのにもっとも大事なのは、本人の意思と行動です。

 

どんなに運気が良くても、動かなければ結果もでません。

 

そしてこうなりたいと思い、そのためにどうしたらいいかを考えなければそもそも何も起こらないのです。

 

「果報は寝て待て」という諺があります。

 

「やることをやり切ったのであれば、後は運は天に任せてヤキモキせずに静観していなさい。」という意味です。

 

ただ、「果報は寝て待て」の元々の意味は「幸運は焦らずに待つのが良い」という意味でした。

 

「果報」は「幸運」だけでなく「前世での行いのむくい」の意味もあります。

 

 

今の結果は前世、すなわちそれまでの自分の行いが前提としての結果です。

 

 

果報は、仏教用語で「果」は良い結果、「報」は悪い結果の事を意味します。

 

「果報は寝て待て」の真意は「結果が良くなるか悪くなるかは、自分の行ってきた努力だけでは叶わない面がある。だからこそ、した事を後からくよくよ考えず、結果は天に任せましょう」という、人間には、自分の力だけでは及ばないことがあることを私たちに諭してくれる諺でもあるのです

 

「願えば叶う。」は真実であり、「幸運は自分が引き寄せる。」ことも事実です。

 

ただ、それは私たちが今世に生まれてきた「命」の範囲内のことです。

 

自分の与えられたもの以上を望むのは、欲しがるだけの餓鬼のようであり、望めばなんでも叶えられるという驕りでもあると私は思います。

 

人には無限の可能性がありますが、同時に地球上に存在する一生物としての限界があります。

 

占いは、私たちに自分の存在に対しての自戒の意味と、与えられた人生の可能性とを同時に示唆してくれる大切な道先案内人なのです。